名古屋市港区の西南部に位置する西福田地区。都心から車で20分ほどの利便性をもちながら、田畑が拡がる一大農業地帯です。この地区の歴史や現在の街並みなどをここで紹介します。現在の西福田学区と南陽学区、そして福田学区と福春学区が旧南陽町のエリアになります。旧南陽町エリアには「戸田川子供ランド」「農業文化園」の施設を有する「戸田川緑地公園」(バーベキューガーデン等)や「日光川サンビーチ(市営巨大プール)」があり「水と緑」の緑道計画等、自然を活かした環境のよい地域です。病院、公立の小・中・高校まで、役所は港区役所・南陽支所があり、金融機関もほとんど整っており、大手スーパーも存在します。ただ、交通 機関は鉄道は当地域には敷設はなく、北部(中川区富田地区)の近鉄やJR関西線を利用しなくてはなりません。ほとんどが市バスの活用となります。南東部には庄内川・新川河口に広がる「ラムサ−ル条約」に登録された「藤前干潟」があります。昨今「食」の安全性が問われる中、当地域の農業は木曽川より独自の水路により水を引き稲作農業を中心に展開する農業地帯となっています。

自分の手で「米」を作って食してみませんか。家族、可愛い子供や孫たちのため、今こそ自分の手で目に見える形で「食物」を作る時代です。

ようこそ「西福田」(南陽町)へ!

▲上の地図をクリックすると、西福田の地図画像がご覧いただけます。

 

 歴史的背景

●西福田を含む旧南陽地区は、17世紀中頃までは一面 見渡す限りの海原でした。しかし木曽川、庄内川の河口に土砂が堆積、さらに江戸時代に干拓が行われ、現在の南陽地区が誕生したのです。●明治の廃藩置県を経て、南陽村が誕生。「尾張の南に位 置し、伊勢湾に臨み暖かみを感じられる土地」ということで「南陽」の名が付けられたといいます。●昭和24年には南陽村は南陽町にあらためられ、さらに29年には名古屋市に合併され、現在に至っています。

(写真左は1250年頃の荘園の図、右は名古屋市と合併する前の旧南陽町役場 2点とも「南陽町名古屋市合併30周年記念誌」より)


 干拓事業

●干拓の第一歩は徳川家光の時代、寛永17年(1640)に国主・徳川義直の命により東福田新田が開発され、寛永20年(1643)には戸田川以西の西福田新田が開発されました。●以降、茶屋新田、茶屋後新田、福田前新田などが次々と着手され、文政5年(1822)に藤高前新田が開発され、現在の旧南陽地区の姿ができあがったのです。

(図は年代別の新田ごとの区分図 「南陽町名古屋市合併30周年記念誌」より)

 


 教育環境

保育園 ■名古屋市立南陽第三保育園(新茶屋五丁目) ■名古屋市立茶屋保育園 ■名古屋市立南陽第一保育園(東茶屋二丁目) ■名古屋市立南陽第二保育園(福田字七 反野) (西茶屋一丁目・市営西茶屋荘内)

幼稚園 ■学校法人湊学園 西福田幼稚園(福屋二丁目) ■竹川学園 富士文化幼稚園(小賀須一丁目)

小学校 ■名古屋市立西福田小学校(西福田五丁目)※写 真

中学校 ■名古屋市立南陽中学校(春田野三丁目) 昭和53年度同窓会HP

高 校 ■愛知県立南陽高等学校(大西二丁目)

その他 ■南陽交通少年団 ■西福田子ども会 ■南陽小学校鼓笛隊 ■茶屋後獅子保存会

※保育園・幼稚園は西福田エリア以外の近隣地区の施設も含んでいます。


 各種団体

農業協同組合 西福田地区の場合は、JAなごや南陽町支店に属します。トラクターやコンバインなどの集団栽培事業、苗の育成や管理、さらには米の買い取りまで、農業に関するさまざまな支援・指導をうけることができます。また貯蓄・共済や、プロパンガス・ガソリンの供給、Aコープでの生活用品販売など、農家にとって必要なさまざまな事業を行っています。

土地改良区 干拓事業により農地がつくられてから、用水・排水や農道などの改善事業がすすめられてきました。戦後の農地改革を経て、各地区の農家が集まり、農地の改良の事業主体となる「土地改良組合」が設立され、現在に至っています。西福田地区には5つ土地改良区があります。●協和土地改良区(南陽町西福田、南陽町福田前新田) ●海東土地改良区(西福田) ●西福田土地改良区(福屋) ●茶屋後土地改良区(新茶屋) ●小川土地改良区(小川・天目町)

新茶屋マイタウン研究会 新茶屋地区の街づくりを考える30代から50代の地元の勉強会。土地改良と話し合いながらの組織。

女性会 任意での加入ですが、西福田女性会は各地域から構成され現在700名ほどが参加、空き缶 の回収など地域への奉仕活動のほか、バレーボール大会の運営などを行っています。

老人クラブ 西福田エリアには連合会のもとに7つの老人クラブがあり、ゲートボールなどのレクリエーションやボランティアなどの活動を通 じて健全で豊かな老後生活の実現につとめています。


 今後の見通し

西福田地区もバブル経済華やかな頃は、市街化区域への編入を地域住民も望んでおりました。しかし、経済状況や食の安全性等の問題が昨今議論される中、市街化(開発型)でいいのか?と疑問の声も多く上がるようになり、今後の街づくりに大きな疑問符を投げかける形となっています。

ただ、現実問題としては農業だけで生計を立てることはほとんど不可能に近い状態です。後継者不足(次世代が仕事を別 の地域で見い出し)の問題もその一つです。

現状の西福田地区(旧南陽町)の農地所有者・農家は99%が兼業農家で、休日を利用して米作りをしております。

農協やほんの一部の専業農家の手を借りて米作りをしているのが現状です。

裏を返せば、農家じゃない方、農業経験のない方々でも「本当に農作物を作って行きたい」と考える方々にはチャンスがあるということです。

環境を守り、自分の手で食物を作って行く地域「西福田」(南陽町)。

しばらくはこの風景は変わらないでしょう。